連載
「現代アートってなんだろう?」
講師 埼玉県立近代美術館
学芸主幹 前山裕司氏
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第6回2009年1月<美術の見方に正解はないところがおもしろい>
現代美術により親しむためには、まず頭が柔らかくなくてはいけない。それは先ほどの美術の先生の話じゃないですが、先入観を持って接するとどうしても受け入れられにくい。
これは、今日一番役に立つ話だと思うのですけれども、何かわけのわからない作品がいっぱいある、という状況の時に、どうすればいいか。大富豪になるということなんです。もちろん本当に大富豪になれれば一番いいのですけれども、とりあえず想像の中で大富豪になって下さい。世界一の大富豪。だから買えないものは無い。じゃあ、一点だけ買うとすればどれを選ぶか。理由は何でもいい。例えば、うちの壁がピンクだから、青色のものが欲しい、でもいいです。それから、この形が何かちょっと気になったから、でOK。ただ大事なことは一つ選ぶ、ということなんですね。
この方法がなぜ役に立つかということですが、選んでいるときは、比較しているわけです。たぶん10点あったら、AとBを比べてBがいいかなとか、BとCを比べてやっぱりBがいいかな、とかいう作業をしているんです。違いを見出すというのは、見るということなんです。例えば、手書きのお皿とか買う時、積んである皿全部出しませんか?私はやりますけど。全部並べてみて、やっぱりこっちの筆遣いがいいかなとか、こっちがちょっと色がいいかなとかやって、千円、二千円の皿だってそうやって買いますよね。その時している作業っていうのは、ちゃんと違いを見出して、そこから一番いいものを選別している。
同じことを展覧会場で、頭の中でやることによって、それぞれの作品をちゃんと頭に記憶することができるんです。記憶しようと思ってなくても、十点の中から一点選んだあとであれば、会場を出ても思い出せると思います。ですからこの大富豪のやり方を、是非お使いいただければと思います。
あと正解があるんじゃないかと考えると、正解にたどり着けない自分が何か間違っているのかなと、恥ずかしく思ったりすることがあると思います。
現代美術に限りませんが、結局、美術の見方って正解が無いという所が、一番面白い所だと思います。正解が無い、つまり自分勝手に見ることができる。音楽でもそうですね。音楽の聴き方が間違っているってないわけですね。楽しめていればいいわけですから。
話がそれますが、今の子供達がなぜあんなにすぐ人を殺すんだろうとかって考えたときに、こういう正解のない世界というのを知っておくことが大事なんじゃないかな、という気がしてなりません。
自分勝手に見ていいという話に関連して、オスカー像の話をさせてもらいます。オスカー像というは、アカデミー賞のトロフィーですね。なぜオスカーという名前が付いたかという話なんですが、最初にあのブロンズ彫刻が出来上がって事務局に持ち込まれた。その時に、ある女性の事務員が、「これ私のオスカーおじさんに似てる」って言ったんだそうです。それでそのままその像はオスカー像と呼ばれるようになったそうです。こういういい加減さ、おおらかさはアメリカのいいところですね。こういう見方、同じように人物画を「おじさんに似てる」という自分勝手な見方をしたからと言って、だれもそれを責めることはできないということです。
第5回2008年4月更新
<比べて選ぶことで、観ようと言う意識が働く>
第5回
2008年3月更新
<50代男性より駄目なのは>男性が頭が固いというのは、やっぱり会社がいけないんでしょうね。変にプライドが高く、素直じゃない。でももっと駄目な人たちがいたんです。
もし該当する人がいたら、自分のことじゃないと思ってください。20何年団体案内をしていて、もうなす術が無い状態になったのが、高校の美術の先生の団体だったんです。作品を見ようとしない、見ることを拒否してるんです。教師は判らないって言えないと、友人の教師から聞いたことがあります。しかも、高校の美術教師は、展覧会に出品している作家だったりするので、自分の方向性と違うものを目にした時、これを認めると自分の存在がまるで無くなっちゃうような感じがしたんじゃないでしょうか。だから見ないことにする。ほとんど生体反応のない何十人がただ歩いてる、という状態なんです。
「あるものを見る」ことがとりあえずまず大事なことだと思います。ところが、「見る」という作業もなかなか難しいことなんです。私も職業病かなと思うのですが、見てないことがあるんです、展覧会に行って。知り合いの作家の個展で、これまでのスタイルと変わってない場合は「ああ、またこのこれね」と思って、見て終わった後、結局何も覚えていない、っていうことがあります。展覧会に行っても、作品の所蔵先とかの情報だけ覚えて、作品をよく見てないとか。これは本当にいけないことです。
第4回
2008年2月更新
<お婆さんははじける>
ただし、中にはダメな人がいます。全員が全員OKではなくて、30人だと入れない画廊があるんで15人ずつに分けて行くんですが、15人の中で1人とか、2人、どうしてもダメな人がいるんですよ。だいたい50代位の男性サラリーマン。そういうタイプが一番頭硬いです。一番頭がやわらかいのがお婆さん。抽象はわからないという人たちに抽象絵画を描いてもらうという講座もやったことがあります。いきなり抽象絵画を描きなさいって言っても描けないんですよ。
講師の先生がやったのは「画用紙に水平線を何本か引いてください。その水平線をつないでみてください」するとジグザグの線がひけますよね。線を消したり増やしたりしながら、形を色分けしていくと、いつのまにか抽象絵画ができ上がっている。3日目位にカンヴァスに移ったんですが、あるお婆さんが画面からはみ出し始めたんです。カンヴァスの外側に紙貼って、そこに色塗りだしたんです。みるみる画面が大きくなっていくんですね。
それから、「100円でできる現代美術」という講座もやりました。100円ショップが出始めの頃です。行って色々なものを買ってきて、それを組み合わせて何かつくるんですが、あるお婆さんは、確かそうめんと線香だったと思うのですが、同じ長さにして整然と並べたんですね。専門用語で言えば、まるでコンセプチュアル・アート。なにしろ、お婆さんははじけるんです、だいたい。
第3回 <まず美術に慣れることが大切>
例えば、恋人がサッカーに興味が無い。自分はサッカーが好きで、どうにかしてサッカー好きにしたい。一緒にサッカーの話ができるようにしたい、と思った時にどうしますか。その時最初にルールから言う人はいないでしょう。オフサイドがねって言ったって、彼女はたぶん嫌いになるだけですよね。じゃあ何をするかといえば、たぶん一緒にサッカー場に行って、あの選手がカッコイイだろとか、そういう面白さ、楽しみ方みたいのを一緒に共有していくようなやり方をするだろうと思います。それに近い。美術はやっぱりまず、慣れるのが一番ということです。ある美術関係者は「ブタの顔」という話をすると言っていました。ブタを飼っている人は、どのブタがどのブタって見分けられる。顔の区別が付くんです。ところが初めて見る人が見ても、どのブタもみんな同じ顔に見える、という話です。
前にテレビで見たんですが、シャワー・ヘッドを作っているアメリカ人が、浴びただけでメーカーと型番を当てる人がいましたね。あと、牛を飼っている人で、ミルクを飲んだだけで、どの牛のミルクか判るという人がいて、人間の能力ってすごいなって思いました。結局、これは年齢とか知性とか関係ないんです。だから生意気な子供で、自動車の型番とかやけに詳しい奴とかいるじゃないですか。それと同じで、要はその対象にどれだけ長く触れているか、それだけの違いなんですね。触れてないから判らない、触れれば判るようになる。そういう性格のものだと思っていただきたいと思います。
じゃあどれぐらいの時間で現代美術に慣れるようになるか。これ私は「2時間」って言っています。これは経験です。もう十年以上前に始めたんですが、「現代美術入門・画廊に行こう」という講座をやったんです。来るのは、何か面白そうだから行ってみようかという程度の人です。現代美術に詳しいという人はほとんどいません。この人達と午前11時に新橋駅に集合して、6時過ぎまで銀座周辺から神田までだいたい30軒ぐらい周るんです。足腰に自信のある人という参加条件をつけたりして。これでお昼過ぎ、だいたい2時間でいっぱしのことを言うようになるんですね。やっぱり最初は皆おずおずと、なんとなく気後れもするし、あまり口もきかないのですが、こちらで作家にちょっと質問をするんです。そうすると「作家も答えてくれるんだ」、「こういうこと聞いても別に恥ずかしくないんだ」とか判って、途端に抵抗感がなくなるんですよ。何でも聞けるようになって、そこまで行ったらもう大丈夫です。どんなものが現れても全く平気で対処することができるようになります。
第2回 8月更新<現代美術は2時間でわかるようになる?!>
「現代美術は判らない」といつも言われます。では、どうすればいいのかという話なのですが、これについては「判るはずがない」と開き直る、この姿勢が大事です。これで肩の力が抜けます。ではなぜ開き直れるかというと、「見たことがないんだから、判るはずがない」、ということです。
日本の美術教育というのは、近年になるまでほとんど鑑賞ということをしてきませんでした。美術の授業ってだいたい、ここにいらっしゃる方、若い方は別にして、だいたい小学校から高校まで、作ることばかりで、鑑賞はやった記憶がたぶんあまりないはずです。ここ10年以内ですね、学習指導要領が変わったりして、鑑賞教育の充実、美術館・博物館の積極的な利用という方向性が出たのが本当につい最近なんです。ですので、学校で美術館に行っていることがまずない。たとえ美術の教科書で、美術の歴史を勉強したとしても、たぶん試験勉強的にこの絵は誰の絵で、何時代とかいう丸暗記で、あまり楽しい記憶はなかったでしょう。まず教育の場で触れる機会がなかった。
それから展覧会で考えても、今だと現代美術に触れる機会が非常に多いですが、私などが若い頃は展覧会といえばデパートが中心だったんです。やっているのは新聞社とデパートですから、どうしても一般的なものをやりたがる。だから、お客さんの入らない抽象とかはほとんどやらない傾向にあった。唯一、1975年に西武美術館ができてようやく、これまで図版で見ていた抽象絵画の先駆者カンディンスキーとかモンドリアンとかの作品を初めて目にする機会を得たというような状況だったわけです。一般的な美術ファンはほとんど現代的なものに触れる機会がなかったのですから、判らなくとも不思議じゃないんです。
その判り方なのですが、よく「どんな本を読んだらわかるようになりますか?」と聞いてくる人がいるんですね。これは、絶対に本を読んでも判るようになりません。よく囲碁・将棋と比べてお話しします。将棋というのはルールを覚えることによって出来るようになるゲームですよね。金はどうやって動くとか、飛車はどうやって動くとかを覚えることから始まります。私は囲碁ができませんので、学生時代に囲碁をやっている人に聞いたことがあるんです。「囲碁ってどうやるんですか?ルールはあるんですか」って聞いたら「ルールないよ」って言われました。「どうやって覚えるんですか?」「それはやって覚えるしかないよ」って言われて、ああそういうものなのかなって思ったのですが、美術はどちらかというと囲碁に近い。ですから、判るようになるためには結局、ルールとか理論とかそういう知識で入るのではなくて、やはり実際のものに触れていく必要がある。